真珠は宝石の盤に 〜たねの日記〜

たねです。日記、食べたものや読書を振り返れたらいいな

二ヶ月も経った

 以前記事を書いてから2ヶ月が経っている。いつの間にか年末を迎え、色々なことが身辺で起き、そして新年となった。1月中旬からは新たに始めたこともある。

 ブログを始めたのは手書きの日記が続かないという理由からだったが、電子でもさほど変わらなかった。毎日さわっている携帯から投稿できるはずなのに、何だか書かなかった。

 本は読んでいる。漫画も読んでいるし、アニメもドラマも見ている。最近は『吸血鬼すぐ死ぬ』のアニメを見始め、いつの間にか原作を買っていた。初めて見たときはベタだなぁと思った気がするが、回を経るごとにキャラクターみんなに愛着がわいてきて、2期のオープニングを見て、自然と口許がゆるゆるしていた。そして、なぜか涙が出そうになった。なので、原作を買った。

 

 文章を書いて生きている人に憧れがあるが、今の自分のように「書かなければならない」という衝動もなければ、題材も思い浮かばない人間には難しい話だろうと思う。とりあえず目の前の仕事を少しずつ積み上げていきたい。また今年もぽつぽつ日記を書けたらいいなぁと思っている。一年間、元気で過ごそう。

『楽園のカンヴァス』を読みました

原田マハ著 『楽園のカンヴァス』

 先日、『三月は深き紅の淵を』を読んでいますブログを書いて以来、読書感想を更新していなかった。実は既に読み終わったのだが、同じくらいにこの本も読み終えたので、先に感想を書きたいと思う。ネタバレを含むかもしれません。

 

 一言でいうと、この本を通じてアートをもっと知りたくなった。これまで美術館に「誰かの絵を求めて」行くことはあまりなかった。好きな絵本の企画展があるときは訪れるくらいで、常設展もふーんと見流し、「知っていたら面白いんだろうなぁ‥」という感想に留める程度、学生時代の美術の授業もそこから何かを感じ取る姿勢はまるでなかった。美術作品への興味は薄いが、ミュージアムショップは好きな人間だ。

 でも、この本に出てくるのはアートがとにかく好きな人たちだ。本当に何かを好きな人たちが話すのを聞いていると、その物事が輝いて見えてきて、ちょっと気になってくる。主人公たちを取り巻く事情は複雑で、現実を見させられるようなところもあるが、何かを好きな気持ちに勝るものはないと感じた。

 彼らはお話の中の人たちで、ただ覗き見ているだけなのに、友達が熱弁しているのを聞いているようだった。

 

 また、作中にはルソーと彼の作品をめぐるひとつのお話が展開される。これが、本当に面白かった。わたしが一番好きだった部分は第5章だ。ヤドウィガが抱いた感覚がひしひしと伝わってきて、最終場面の夜の静かな雰囲気も相まって切なさに胸が詰まった。周りの人たちの雰囲気から、好意とその裏のからかいを感じて居たたまれなくなることがわたしにもあった。わたし自身に対しても、他人に対しても。この場面は夜のバスで読んでいたのだが、隣に人がいるのに泣いてしまった。

 

 今一番気になるのは、ルソーはどんな人だったのだろうかということ、このお話はどこまで本当でどこからが創作なのかということ。自分でも調べてみたい。めちゃくちゃ美術館に行きたい。

 

 最後に‥‥

 わたしも「お友だち」がほしい!!!!!

 

 

 

追記: 本記事公開当初、書名『三月は深き紅の淵を』の表記に誤りがありました。申し訳ありません。

 

 

 

ココアが美味しくなってきたね

 ここ数日若干暖かい日が続いているが、あっという間に11月も中旬に差し掛かっている。寒い冬の朝はココアが美味しい。

 

 学生時代、初めてのアルバイト先はレストランパーラーだった。基本的にはフロアの接客やお料理の配膳が担当業務なのだが、カフェタイムになるとドリンクやデザートを作るのも仕事のひとつとなる。冬が近付いてくるとよく注文されるのが、ホットココアだった。

 スタッフにはひとりのお兄さんがいた。その人は一番パフェを作るのが上手く、一番ケーキの飾りつけがきれいだった。そのため、私のカフェタイムメニューの指導係は彼だった。

 彼はココアの作り方をことさら丁寧に教えてくれた。小鍋にバンホーテンのココアと砂糖を入れる。この時に焦げない程度に少し炒ってあげるのがポイントだ。ふんわりと香りが立ってきたら牛乳を入れるが、この時に一気に入れてはいけない。すこーしずつ少しずつ牛乳を入れて練ってから最後に全量を入れて飲み物にする。そして、底にホイップクリームを絞ったカップの中に注ぐ。クリームは溶けずにぷかーっと浮かび上がってくる。私がよく行くスターバックスでは飲み物を作りきってからクリームを絞るので、生クリームがこんな風になるのかととても驚いた。最後はソーサーにスプーンと、お好みで追加するためのシュガーを盛って完成である。

 メニューには写真が載っていないため、大抵のお客さんはクリームがこんもりと乗ったココアに驚き、そしてかわいいねと喜んでくれた。作り方を教えられたとき、ココア自体が濃いので、「なかなかシュガーを追加する人はいないんじゃないかな‥」と思っていたのだが、客席に立ってみると案外皆入れていた。寒い日は甘いものでほっこりしたいものなのかも。

 

 そこを辞めて何年か経つが、未だに自分でココアを作るときはお兄さんを思い出しながら、小鍋でゆっくりと作るようにしている。お湯を注ぐだけで簡単に出来るココアもとても美味しいが、思い出と共にゆっくり作るココアはまた格別だ。皆さんも体を温かくして、元気に過ごしてくださいね。

 

自分が何かを聞いている時の姿、見たことある?

 家族が資格試験の面接で心を折られて帰ってきた。それがどうも、手も足も出ずというよりも面接官の態度ゆえらしい。聞いてみると、必要以上に急かして焦らせてくるような問いかけや態度だった。同じ年頃の自分がされたとすればかなり辛そうな。

 成果を本番でどこまで出し切るかというのが実力であるという考え方も分かる。実際に音楽の大会ではどれだけの時間をかけてきても、本番はほんの何分間だ。練習で100%出来ていてやっと80%の演奏ができるもんだという話も聞かされてきた。

 会社の面接にも圧迫面接というものがある(あった?)らしい。しかし、資格試験とは種類が異なるのではないかと思う。会社の面接なら「そんな人がいる場所なんかで働きとうないわ!!」と諦めがつくものの、誰かを必ず落とすという目的があるわけでもない面接でコミュニケーションを積極的に取ろうという姿勢を見せてもらえないと悔しいし、逃げ出したくなりそうだなと思う。面接官の当たり外れがあるなんて…と不公平さも感じられる。

 ただ、恐らく本人は無意識なんだろうとも思う。考えてみれば自分がどんな様子で人の話を聞いているのか、まじまじと見たこともなければ他人から指摘されることもほとんどない。もしかすると自分も、知らず知らずのうちに誰かの気持ちを折ってしまっていることがあるのかもしれない。

 

 家族の試験結果がどうであるのかまだ全く分からない。受かっているかもしれないし、本人の予想通り落ちているのかもしれない。しかし、本人はいろんな人に教えてもらいながら、ずっと毎日勉強してきていた。頑張るねと笑って出発していったのに、帰ってきて声も出さずにぽろぽろと涙を落とす姿を見ていると、悔しくて私も涙が出てきた。本当に悔しい。これで、勉強することやその物自体を嫌いにならないでもらえたらいいなと切に願う。最後までやりきって、本当にがんばったね。

ぜんぜん文化的じゃなかった日

 今日は祝日だった。ここ1ヶ月と少し、リングフィットを始めたので、食事の量も多少は気を付けるようにしていたのだが、やはり月に1週間ほどは食欲が目に見えて旺盛になる。その始まりがちょうど今日だった。1日暇で、やることがなかったのが余計に食欲を加速させた。

 

 食欲が止まらなくなる時期は本当に不思議だ。一応お腹自体はしっかり満たされているはずなのに頭が「まだ足りない!!!!!」と言い続け、食べ物のことしか考えられなくなる。その上少し気が立ち始める。

 

 今日は11時頃に朝ごはんと称してリンゴクリームデニッシュ(ファミマのやつ)を食べ、すぐ後に昼ごはんと称してトマトパスタを食べた。昨日の夜ごはんのチキンのトマト煮にチーズを追加して弟が作ってくれた。チーズの残りがあまりなかったことに若干不服そうに提供してくれたが、しっかりおいしかった!でもパスタは7分茹でか9分茹での方がおいしいと思う。

 そして15時頃、どうしてもチキンラーメンが食べたくなった。家族に「食べたいけど食べたらやばいよねぇ。」と言うと呆れたように「好きにしな~。」と言われた。どうせ食べるんだろと言外に仄めかされた。せめて罪悪感を減らしたくて半分ずつ食べることを提案したが却下されたので、家族がリビングから消えた瞬間に調理を開始した。

 チキンラーメンはお鍋なら1分でできるのが楽で良い。いつも卵を入れるのだが、固めに煮たいのに1分では仕上がらないので、今回は麺を入れる前に落としてみることにした。失敗した。白身がぶくぶく泡立ってメレンゲのようになった。ちゃんと卵の味がするかなぁとお玉ですくって口に運んでみたら、味がしなかったので失敗である。でも、ラーメンを入れたら全てが挽回された。Netflixで『パディントン』を見ながら食べた。チキンラーメンは勢い良く啜ると、麺の形状のせいなのか必ず鼻まで吸い込んでしまうので、げほげほと咳き込みながら食べている。パディントンが熊語で自己紹介するところで大爆笑した。いつの間にか戻ってきていた家族に、やっぱりねという顔をされた。

 夜は父の知り合いの作った餃子とトムヤムクンヌードルを食べた。昨日録画していたテレビを家族で見ていたら、インスタント麺が無性にに食べたくなったらしい母が大量買いしてきた。食後は同じく知り合いの作ったおもちを食べた。大きいのと小さいのがあったので、逡巡しつつも大きいものを食べた。

 

 今日1日の摂取カロリーはどれくらいになったんだろう‥。毎日これなら大変だけど今日ぐらいならいいかな。文化的なことは何卒もしなかったけど食欲の秋らしい一日だった。

『三月は深き紅の淵を』を読んでいます-1-(まだ感想に至らないもの)

 いつ買ったのかあまり覚えていないが、やっと第3章まで読み進めた。恩田陸さんの『三月は深き紅の淵を』という本である。第1章は買ってすぐに読み終わった。1週間後くらいにまた第1章から読み始めて、第2章の中盤あたりまで(まだ電車に乗っているところ)。そしてそのまま2〜3年経って、会社の研修先の寮にまで持っていった。ベッドしか置いていない部屋と聞いていたので、限られた荷量の中で最大限に得られる娯楽は本しかないんじゃないかなと考えたのだが、ところがどっこい今はスマホというものがあった。ベッドの上、枕のすぐ横にずっと置いていたのだが、結局期間中読むことはなかった。自分は疲れ果てて何のやる気も起きない状態で本が読める人間ではないようだ。ぼーんやりと動画を眺めて笑っていた。

 

 ということでしばらくぶりに本を開き、またはじめから読み進めることにした。『三月は深き紅の淵を』は作者不明の『三月は深き紅の淵を』という稀覯本をめぐる4つの篇からなる。自分が読んでいる本と同タイトルの本が物語をつなぎあわせているというのが面白いなというのが初めて読んだ時の印象だった。わくわくする!

 

 しっかり読んでいたはずなのに、やっぱり内容が新鮮に感じられる。今のところ、第1章が一番好きで、第3章の終盤では手汗がばっと吹き出した。第2章は冷たい夜の空気感が好きだ。夜の列車で暗闇を抜けていってみたいな。詳しい感想は2回3回と読み重ねないと確かにならない気がするので、とりあえず読んでいるよ~という記録を残す。読んで考えたことは続きのブログで記したい。

 

 

 はじめてブログに記事というものを書いた。日記をノートに手書きするのがなかなか続かないので、これならできるといいなと期待している。昨日ほとんどやるべきことを済ませてしまったので、今日は特にやることの見つからない日だった。